クラブ設立10周年を記念し、
「いわきFCとわたし」と題して、
ファン、サポーターの皆さまご自身の
エピソードを掲載中。
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私を変えたいわきFC
いわき生まれいわき育ち。
10年前、当時高校3年生だった私は、18年間住み続けた故郷があまり好きではなかった。
田舎だから。つまらないから。SNSで都会のキラキラした投稿を見る度にその思いは強くなり、私はいわきFCが設立されたのと同じ時期ぐらいにいわきを出たのだ。存在すら知らないまま。
都会での生活は楽しく、このまま一生いわきに戻ることはないだろうと考えていた。
転機は突然訪れた。旦那と付き合い始めたことである。中学の同級生だった旦那は、再開した時には既にいわきでの就職が決まっていた。サッカー好きの旦那の影響で、私もサッカーが好きになった。頻繁にいわきに帰るようになり、「いわきFC」の存在を知ったのもその頃である。
4年の遠距離を経て、結婚することになった。私は迷っていた。いわきに帰りたくない、けど融通が利くのは私。互いの実家もある。今後を考えるなら戻るべき。葛藤と覚悟の末、8年ぶりに帰ってきたが、後悔がなかったわけではない。友達はほとんど関東にいるし、いわきに帰ってきて何を楽しみにしたらいいのだろう。不安で仕方がなかった。
しばらくして、誘われたいわきFCの試合。 チームや選手をほとんど知らないまま観戦した2024年3月3日のファジアーノ岡山戦。驚いた。観客の熱狂、プロスポーツの迫力、劇的な同点ゴールが決まった瞬間のあの感動。いわきにこんなに熱く、楽しい空間があったのだと、なんで今まで知らなかったのだと後悔するくらい引き込まれた。そこからは、ユニフォームを買いチケットを買い、アウェイを含むたくさんの試合を観に行った。
10年前、あんなに嫌だったいわきでの生活が、10年後の今、楽しくて仕方がなくなっている。いわきに帰ってきて良かったと、胸を張って言えるのは間違いなく『いわきFC』のおかげである。きっと10年前の私はこんな未来を想像していないだろう。
ありがとういわきFC、私はいわきを大好きになったよ。Kさん 福島県いわき市
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親父に見せたかった景色
最初は新聞でクラブの立ち上げを見て、「アンダーアーマーが?え?ウチの地元に?」と、まず感じたのは驚きでした。
パークのオープニングにはお袋と二人で現地に行き、盛大なイベントを見て「これは本気でいわきを盛り上げようとしてくれているな」と確信しました。その後、お袋や友人と福島県リーグ、東北リーグ、JFLと応援し続けたのは良い思い出です。
現在はJ2にまで昇格し、クラブの本気度もいわき市民に伝わり、サポも増えました。
お袋はもう歳でなかなか試合会場にもいけませんが、新聞やニュースでクラブの活躍を見ています。
スポーツ観戦好きだった親父にも、いわきでプロスポーツが盛り上がってるこの光景を観せてあげたかった。
家族での思い出にもなる場を作ってくれたクラブには「ありがとう」と伝えたいです。
これからも応援し続けます。
いわきをよろしくお願いします。Fさん 福島県いわき市
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祖母と私の週末
祖父が亡くなり、一人になった寂しそうな祖母の姿。
そんな祖母を誘い、いわきFCのホーム戦へ!今では、祖母から誘いを受けて試合観戦に行くようになりました。
第二の人生の趣味を見つけられたようで、自分ごとのように嬉しいです。
いわきFC、ありがとう。Sさん 福島県いわき市
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いわきには、いわきFCがある
大学進学のために地元であるいわきを離れた私は、試験や研究に追われつつも都会で過ごす4年間を存分に楽しみました。ですが、元々両親に「進学先はどこでも構わないが、就職の時には地元に帰ってくるように」と言われていました。そんな両親を説得できるような理由も見つからず、私は華やかな都会の生活に未練を残しながら、いわきで社会人としての生活を始めました。
最初は仕事に慣れるのに必死でしたが、それも少し慣れてしまうと田舎での生活のなんとつまらないことでしょう。行列のできるパンケーキ屋さん、可愛いアパレルショップ。少し前まで日常にあったものが、いつの間にかどこか遠いところの話になっていました。
ただ家でぼーっと休日を過ごす私に、ある日父が言いました。「いわきFCの試合を観に行こう」と。「暇つぶしになるなら」と付いて行った私は、試合が始まると目の前のフィールドを駆け抜ける赤いユニフォームに身を包んだ彼らの一挙手一投足に夢中になり、歓声を上げ、時に悲鳴を上げていました。試合終了の笛の音、いわきFCが勝ったのだと分かった瞬間、立ち上がって隣にいた父とハイタッチまでしてしまう自分がいたのです。
それからの日々は、ホームはもちろんアウェイでも行ける場所ならどこまででも。いわきFCの選手として戦ってくれる彼らを応援するために、スタジアムに通う日々が始まりました。気付けば、いわきFCの存在が私の日常の一部となり、地元に帰ってきた理由になっていました。
都会で働く大学時代の友人に「いわきって何があるの?」と聞かれれば、私は胸を張って「いわきFCがあるよ!」と答えます。もちろん、「一緒に試合観に行かない?」と誘うのも忘れずに。Hさん 福島県いわき市
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サッカーなんて興味ないはずだった
最初は「いわき市にサッカーチームがあるんだー」ぐらいに思ってました。元々、サッカーの応援は好きでしたが、日本代表以外に興味はありませんでした。
ある日、娘が保育のバイトでいわきFCの試合を観に行って帰ってきた第一声が「絶対観たらハマる!」と興奮気味に話してくれました。じゃあとりあえず地元だし一回ぐらい観てみるかと思って観に行ったのが運の尽き。思っていた以上の熱狂空間。初めて生で聞いたチャント。自然と涙が出た。妻も娘も初めはサッカーなんか興味ないし、ユニフォームを着て応援なんか恥ずかしいと言っていたたくせに、次の試合には全員ユニフォームを着てゴール裏で声出し応援していました。知らない人達とも自然と仲良くなり、いつの間にか一緒にお酒を飲んで語り合うまでになりました。老若男女問わず仲良くなれるのが、いわきFCの良さでありJリーグの醍醐味です。いわきFCのおかげで家族の会話が増え、仲間が増え、幸せが増えました!ありがとういわきFC!Sさん 福島県いわき市
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私の新たな目標
私はアカデミー1期生で、いわきFCパークのオープニングセレモニーで風船を飛ばしたところから、いわきFCとの関係が始まりました。毎年カテゴリーを上げていたトップチームの背中を追いかけて同じグラウンドで必死にプロをめざした中高6年間。プロにはなれなかったが、「アナリスト」という職業でいわきの地に戻って来るという新たな目標ができました。
高校卒業後はいわきを離れたこともあり、いわきFCの試合を現地で見る機会は減ってしまいましたが、昨年のアウェイ千葉戦(3-0)の試合を現地で観戦することができました。魂の息吹くフットボールではありましたが、良い意味でピッチ、スタンド含めて自分の知っているいわきFCではありませんでした。
いわきFCというチームに負けないくらい成長して必ずいわきに戻るという決意がより深まりました。Kさん 神奈川県横浜市
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家族をつなぐいわきFC
私たち家族は、友だち家族に誘われたことがきっかけでいわきFCファンになりました。
サッカーのルールすら詳しく知らず、興味もなかった私たち。
「行ってみない?」の一言で、初めは「ま、一回くらい行ってみようか…」ぐらいのノリでした。
いざホーム戦へ行くと盛り上がりがすごく、チャントもひとつひとつが覚えやすく、ノリがよく、とても楽しい!ノリの悪いパパでさえ、恥ずかしそうにしながらもリズムを取っていて、イメージを遥かに超える楽しさで帰ってきました。選手がゴールを決めた時、周りとのハイタッチもとてもうれしかったり。
何度か行くうちに、それぞれの知り合いに会い、そこからいわきFCの大好きなところや良いところの情報を得たり、グッズを買うのに並んでいたら、後ろに並んでいたご夫婦と仲良くなり、会うたびに声をかけたら、本当の家族のように仲良くなったり、家族にそれぞれ推しの選手ができたりして、家族団欒の時間に、しょっちゅう話題になったり。私にとって一番嬉しかったのは、家族でいわきFCを応援するという、同じ趣味が持てたこと。思春期に入る息子と唯一の共通の話題を持てるのも嬉しかったり!
そんな中、パパが海外単身赴任が決まってしまい、私と子どもたちは日本に残ることに…
せっかく家族で楽しんでいたいわきFCの応援にパパがいないなんて…
しかし、本当の家族のように仲良くしてくださるご夫婦が「もうすぐ新体制発表会だね!会えるの楽しみにしてます」と連絡をくださったり、初練習公開の日も、帰りに一緒に昼食を食べて帰ったり、面倒を見てくださったり、子どもたちだけでなく、私も心の支えとなってくれています!ちょっとした出会いだったのに、こんな出会いになるとは思ってもおらず、家族みんなでビックリしています! パパは新体制発表会を赴任先で観ていました!
いわきFCは、いろんな出会いや経験をもたらしてくれた、大切な存在です!Fさん 福島県いわき市
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私に自信をくれたいわきFC
中学3年生の卒業式の日、東日本大震災が起こりました。
大学に入学して上京してからは、いわき市出身というと「震災大変だったね」「原発は大丈夫だった?」と、聞いてはいけない内容かのようにそっと触れられ、かわいそうな子のイメージがついていました。
それがいつからか、いわき市出身というと「いわきFCのところだよね!知ってるよ!」と言ってもらえるようになりました。
今までは出身地を伝えると気を遣わせてしまうので、あまり自分から話を振ることはありませんでしたが、最近は「いわき市出身なんですよ、いわきFC知ってますか?」と、自分から言うようになってしまいました。
地元が盛り上がるってこんなに素敵なことなんだ、と改めて思わせてくれたいわきFCに感謝しています。
いつかは戻りたい大切な故郷になりました。Kさん 東京都世田谷区
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僕の浪人生活を支えてくれた
自分はサッカーをしていたため、バスケスバイロン選手が加入したときに衝撃を受け、初めて観戦をしました。それからは数回、試合観戦しているだけでしたが、一昨年から受験勉強の息抜きにいわきFCを観戦する頻度が大きく増えました。今年度は浪人をしていましたが、いわきがJ1昇格する瞬間をこの目に焼き付けたいという想いと勉強の息抜きがてら試合を観に行こうという想いから、友人と罪悪感が少しありながらも、ホーム戦全試合を観に行ってしまいました。
試合観戦時に高校時代の先輩や後輩、先生に遭遇することがあったり、帰省してきたチームメイトも連れて試合を観に行ったりと試合観戦そのもの以外にも楽しみがありました。
辛いはずの浪人生活の辛さがいわきFCのおかげで軽減されたのではないかと思います。
大学に入ってからもいわきFCの布教をしますので、選手・スタッフの皆さんも頑張ってください。
J1昇格の景色を見せてください!!!!!Eさん 福島県いわき市
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サッカーが教えてくれた“あきらめない心”
今年の春、娘は高校を卒業し、新たな目標を持ち上京します。
遡る事10年前のある日、突然「私サッカーがやりたい!」と言い出し、私にも想像が出来なかった毎日が始まりました。
小学二年生だった娘は身体も小さく男の子に混ざって練習するのも大変で、いつも砂だらけで帰って来ました。地元という事で度々いわきFCの選手やスタッフと交流する機会があり、子供達は大興奮だったのを今でも覚えています。
一緒にやっぺ踊りに参加したり、サッカーブースで戯れたりとプロのサッカー選手や憧れの選手と過ごせる貴重な時間を過ごさせていただききました。
試合観戦時もキラキラした目で追っている子供達の様子が思い出されます。
中学進学の際、初めて娘は「サッカーを辞めたい」と言いました。原因は怪我が続き、思うようなプレーができず、メンタル的に諦めてしまっていました。
そんな時、いわきFCクリニックに通い、普段選手達を支えているトレーナーさんやドクターにお世話になり、折れかけた気持ちも復活することができました。その後、いわきFCガールズにてプレーする間、様々な方のサポート、ご指導を受け卒業までサッカーを続けることができました。
娘のサッカー人生は7年間で終わってしまいましたが、その間、選手、スタッフ、ドクター、トレーナーさんと一緒に歩んで成長してきたように思えます。私にとっても、いわきFCの進化と共に娘の成長を感じれる素敵な時間でした。
この春、進学する娘は、スポーツトレーナーを目指し上京します。今は微弱ではありますが、魂はちゃんと息吹いております!娘がいつかいわきFCに恩返しできる日が来ることを願っております。Uさん 福島県いわき市
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嫌なことを忘れさせてくれた場所
僕は現在中学1年生です。ISAAには小学1年生から6年間通っていました。僕は小学生のときにクラスの人とのトラブルで不登校になっていたときがありました。そんなときに支えになったのが、ISAAでした。ここに来ていれば、どんな嫌なことも忘れることができました。僕は6年生のときに中学受験をしました。そんなときでも、ISAAに来ることで、勉強の疲れが取れました。いわきFCとISAAがなければ、今の僕はきっとなかったと思います。本当にありがとうございましました。これからも、いわきFCとISAAを応援しています!
Sさん 福島県いわき市
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いわきFCがくれた勇気
「50歳にして、サンシャインマラソン(ショート)に初挑戦した、とか」
第1回サンシャインマラソンの親子2キロに、夫と息子が出場。それ以来ずっと夫、息子が走り、私は応援兼荷物係として、会場にいました。いつかは走ってみたい、そんな気持ちもありました。
数年前から、少し自宅付近を走り始めてはいたのです。いわきFCの選手のトレーニングを見ていたら、私も頑張りたい!!……といっても早足で歩く人と大して変わらないスピード……運動経験ゼロのおばさんに、大会へのエントリーは恥ずかしくハードルの高いもので、ランナーに対する憧れだけ秘めて数年が経過していました。
「いわきFCがオフィシャルパートナーに」
このニュースは、私の背中を押しました。
そして、これまでずっと応援する側だった私は、初めて走る側として、会場に向かいました。
とにかく楽しかった!!
スタートラインに立つこと、応援してもらうこと、ランナーの特権であるつみれ汁の美味しさ、終始にやけていたように思います。
タイム的には誇れるものではありませんが、ユニフォームを着る以上は「止まらない倒れない」精神です。
「いわきFCのおかげで」という話は、たくさんあり過ぎて、どう感謝を表せば良いか分からないくらいですが、今回の初挑戦もいわきFCのおかげです。ありがとうございます! 私の人生、ますます面白くなっています。Wさん 福島県いわき市
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父の背中といわきFC
いわきの高校サッカー部の監督だった父を持つ私にとって、サッカーは子供のころから身近なものだったけれど、私の学生時代は女子サッカーも盛んではなかったし、部活もバスケや陸上をやっていたので、サッカーは特に気にも留めていなかった。いわきのサッカーの発展のために、父は週末部活の練習ばかりだったので、家にいないときも多かったし、小学校時代は週末の運動会にも来てもらえなくて、寂しい思いもした。
福島やいわきの田舎の生活が嫌で、高校卒業後は県外に進学し、海外にも留学して東京で働いていた。そこで起こった3.11。人生観が変わった。東京に避難してきた両親と避難先のホテルで原子炉建屋が爆発する瞬間を、まるで映画でも見ているような感覚にとらわれて見ていたのを、今でも覚えている。
福島は汚染されているといういわゆる「フクシマ差別」。本当に悔しかった。震災後は足しげくいわきに帰って、復興支援活動のボランティアに没頭した。
未曾有の大災害からしばらくたったころ、父はいわきFCの社会人リーグの応援に行っていた。順調に勝っていてJリーグを目指せそうだと言っていたが、さすがにそれは夢のまた夢だと思った。
いわきFCがJFLで快進撃をしていることを知り、私もそのころからいわきに帰省し、応援に駆け付けるようになった。いわきFCを通していわきを盛り上げたいと思った。
気が付けば、父よりもいわきFCにのめり込んでいる自分がいる。父がいわきのサッカー発展のために捧げたサッカー人生。遅ればせながら、サッカーの素晴らしさをいわきFCから学んでいる。昭和41年のいわき市創立1周年記念行事の一環として、高校、大学、一般のチームからなるサッカー試合の開催にも翻弄したと聞いている。そんな傘寿を超えた父にとっても、もちろん私にとっても、いわきFCの応援は生きがいだ。いわきFCは私たちを照らす光です。Oさん 東京都練馬区
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夫婦の思い出
いわきFCが当時JFLの時、会社から無料の試合観戦チケットを2枚もらいました。僕はいわきFCの名前を聞いたことある程度でしたが、学生時代にサッカーをやっていたこともあり、その時に付き合っていた彼女を試合に誘いました。ところが彼女はサッカーに興味がなく、ルールも分からないからと断られました。長時間に及ぶ交渉の末、なんとか一緒に試合を見に行ってくれることになりました。
試合当日、試合会場に向かう車の中で、些細な理由から彼女と大喧嘩しました。試合会場に到着したものの、険悪なムードのまま試合を観ることに。私はどうやって仲直りするか、しか考えてませんでしたが、試合が始まった途端、彼女は笑顔で試合を見ていました。筋肉隆々の選手達ががむしゃらにボールを追いかける姿は、元々イメージしていたサッカーとは違ったようです。ルールを教えながら試合を見ている内に、いつの間にか仲直りしたのを覚えています。
そこから僕も彼女も「いわきFC」に完全にハマりました。ホームゲームはもちろんのこと、アウェイゲームにもたくさん行きました。そんな僕達は結婚しました。北海道で撮影したウェディングフォトは、大好きないわきFCのユニフォームを着て、ハーマー&ドリー(ぬいぐるみ)も一緒に撮りました。夫婦の思い出には常に「いわきFC」がいます。Sさん 福島県いわき市
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私たちの原点
「いわきに新しいサッカーチームができて、泉町のグランドで練習してるから、今度見に行ってみない?」
「うん、行く。」
2016年、まだまだ寒い春先、この会話から私たちのいわきFCサポーター生活が始まりました。
もしあの時、「行かない。」「また今度。」と、言われたら…。
今、こうしてサポーターになっていなかっただろうし、なっていたとしてもずっとずっと先のことだったと思います。
もしかしたら、県内や近県のJクラブサポーターになっていわきFCと対峙していたのかもしれません。
今思えば、何気ないたった一言で日常が一変する、それほどこの「行く。」は、自身のいわきサポストーリーを語る上で重要なターニングポイントだったのです。
今では想像できない雑草が生えている土の練習場、雨が降れば水溜まりだらけ、一つの水道を選手のみんなで使い分けながら汚れた身体を拭く、水を飲む、練習後に外で着替える、そんな決して恵まれているとは言えない環境の中、選手たちは目標に向かってがむしゃらでキラキラ輝いていたことを鮮明に記憶しています。
いわき市企業交流会館(大剣グランド)、私にとってアナザースカイみたいな場所で、今でも年に数回訪れています。
あの時のようなボールを蹴る音、選手たちの声、息遣いが聞こえることはなく、静かなグランドを眺めています。
いわきFCサポーターとして立ち帰る場所。
スタートした場所。
そこが大剣グランド。
この場所で描いた夢や目標を忘れることなく、少しでも近づけるように応援し続けます。
そしてまだ選手たちの躍動する姿を見たことない人に聞いてみます。
「ハワイアンズスタジアムいわきに行ってみない?」と。Kさん 福島県いわき市
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リハビリの目標はいわきFC
いつもいわきFCを応援するお友達がきっかけで初観戦をした2年前。一気にいわきFCの魅力にはまり、気づけば週末の予定は試合のある日が第一優先に!
そんな毎日を送っていましたが2024年の夏、ケガから内側半月板の手術をすることに。試合に行けない寂しさと、初めての手術への不安。そんな不安を抱えて行った入院当日。いわきFCのトートバッグに入れた荷物を持って部屋に入ると同部屋の方から「いわきFC見に行ってるんですか?」と声をかけられました。なんと同じ日に入院された方がいわきFCサポさんでした!不安から一気にいわきFCの話で盛り上がり、「絶対良くなってスタジアムで会いましょう!」と励ましあいました!
術後1ヶ月の長崎戦は座ってでもいいから見に行きたい!そうリハビリでも言い続け、次の試合はゴール裏で見たい!その次はゴール裏で跳びながら応援したい!リハビリの目標は全部いわきFC!その目標を言い続け、1試合ごとに目標を達成してきました!
目標を持たせてくれたいわきFCには感謝しかありません!
いわきFCがきっかけでたくさんのご縁がありました。
たくさんのご縁に感謝しながら2025シーズンも全力共闘します!
いわきFCありがとう!!Tさん 福島県いわき市
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大切なことを教えてくれる
いわきFCの試合を家族で観に行くようになって生活がいわきFC一色になりました。
小学生の息子は憧れの選手のようになりたくてキーパーグローブを買い、同じ大学に行きたいと勉強を頑張るようになりました。大好きな選手の引退が決まった時には大きな声で泣いていたけど、手紙を書いて、手書きのゲーフラ作って最後の試合は涙を堪えながら「ありがとう」を伝える姿を見せてくれました。
そして「UNLEASH」の意味を伝えると習い事やサンシャインマラソンに挑戦しようとする意欲がでてきました。
保育所に通っている息子は試合を楽しむのはもちろんのこと、ハワスタでのゴミ拾いを経験してから出かけた先でゴミ拾いをするようになり、私のカバンの中には常に小さいゴミ袋を常備するようになりました。
いわきFCはただサッカーの試合を見せてくれるだけではなく、子ども達に挑戦すること、努力すること、諦めないことを教えてくれています。
大切なことを教えてくれるそんな存在です。Kさん 福島県いわき市
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30年越しの夢と誇り
自分といわきFC
今から30年前、所用で出掛けた土曜の午後、新潟駅前のビジネスホテルで一泊した。夕食を駅前の居酒屋で済まそうと出掛けたが駅の周りは試合後のオレンジのユニフォームを着たサポーターたちでいっぱいだった。居酒屋に入れば広い店内も座る場所がないぐらい、ユニフォームを着た老若男女たくさんの人たちが、ビールや酎ハイで乾杯しながら今日の試合の内容を大声でワイワイ、ガヤガヤと話し合っているのを見て、新潟でこれが通常として文化が育っていることを凄く羨ましく思った。私の住んでいるいわきではこんな光景を一生というか、絶対ないなと思い、寂しく、虚しい想いが込み上げて来たのを今でも思い出す。
それから20年後、いわきにプロサッカーを目指すチームができるらしいということを新聞で見て、興味はあったが、あの時の新潟で見た光景のように育つことはないだろうと思っていた。数年後、会社で同僚に誘われて初めていわきFCパークへ試合を見に行った。「アレ、なんか思っていたのと違うぞ!」が、第一印象だった。選手の体つきが相手チーム選手と比べ数段ゴツく、目の前を走るときの速さや靴音が違う。絶妙な連携プレーを見て「これは」と思い、それから毎試合ホーム戦に通った。翌年、地域チャンピオンズリーグで高知と共にJFLに昇格。2年後にJFLで優勝し、J3に昇格が決まった時、20数年前あの新潟で見た光景が蘇った。自分の生まれ育ったこの地にプロサッカチームが誕生したことが、本当に嬉く、誇らしく又、大切に育ててくれたオーナー、社長及び監督、選手、社員、行政、スポンサー、サポーター、他ボランティア等関係者の方々に感謝しかない。今71歳になってもホーム戦を毎試合観られる喜びを噛み締めています。ここ何年かはSNSを見ながら指折り試合日を数える毎日です。Sさん 福島県いわき市
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この年になっても成長できる
「何だ!このキラキラ輝いている漢達。応援したい。この先個サポが付けば県内外からもファンが来て絶対いわきが盛り上がる」
そう私をワクワクさせたのは2016年天皇杯福島県大会決勝。
何気なくつけたテレビで見た、まだ存在さえ知らなかったいわきFCの試合です。言葉をお借りするなら「浜を照らす光」そのものでした。若々しく躍動感ある選手達の姿にどんどん引き込まれていったのを覚えています。一番印象深い試合は、2017年天皇杯2回戦のコンサドーレ札幌戦。北海道へ飛び土砂降りの雨の中応援しまくりました。
目の前には元日本代表選手も。そんなの関係ない。走る。走る。走る。止まらない倒れない。これぞいわきFC!延長そして逆転勝利。感極まったこの試合が私にとって今でもナンバーワンです。
Jリーグに上がってからは一人での観戦となり、機械に弱くチケット等携帯でのやり取りはハードルが高く、DAZN観戦となりました。一年経ってようやくSNSにも慣れ、結構一人観戦の方が多いことを知り、その奮闘を読んでいるうち、私も頑張って一人でも行ってみよう!と 勇気が湧いてきました。一度行ってしまえばお茶の子さいさい。
この年になっても成長できる。一人じゃ何もできなかった自分に自信が持てました。
今では毎日が楽しくて仕方ありません。職場では毎日毎日いわきFCの話。オフシーズンだろうが何かしら話題が出ます。仕事に行くのも楽しみになりました。
自信を持って言えます。私の生きがい、かけがえのない存在、いわきFC。この地に誕生してくれて本当にありがとう。Sさん 福島県いわき市
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いわきFCがくれた故郷との絆
私はいわき市小名浜で生まれ育ちました。中学校を卒業したその日に東日本大震災を経験し、我が家は地震・津波の被害に遭いました。実際に膝まで来た水の中を高台まで必死に避難したエピソードがあります。大学時代はいわきを離れ上京しましたが、関東で生活をする中で周囲には震災に感心がない人が多くいました。その違和感から実際に被災者として経験したコト・モノを多くの人に伝えたい、いわきのために何か貢献したいという思いが強く芽生えました。
そんな時、2015年に「スポーツを通じていわき市を東北一の都市にする」というビジョンを掲げ、いわきFCが誕生しました。それが一番初めにいわきFCと出会った瞬間です。自分自身が大好きなスポーツを通じて、地元の復興支援に力を入れてくれた会社に恩返しがしたいと思い、2018年には新卒としてドームグループに入社をしました。実際に仕事を通じて選手のサポートをすることができました。現在は分社化してしまったこともあり、直接的なサポートはできませんが、ブランドを通じて間接的に接点があることは非常に嬉しく誇りに思います。私はこれまでの人生でサッカーという競技をスタジアムで見たことがありませんでしたが、初めて観戦したサッカーチームがいわきFCで、初めて好きになったサッカー選手もいわきFCの選手です。
選手やスタッフさんの全力な姿にいつも元気と勇気を頂いており、ホーム戦は毎回帰省するようになりました。家族全員いわきFCファンのため、休日は家族全員でスタジアムへ足を運んでいます。いわきFCのおかげで、帰省することが増え親孝行に繋がったと思っています。昨年はシャレン活動にも参加し多くのことを学ばせて頂きました。いわきにこのチームが存在すること自体が、浜を照らしてくれています。だからこそ選手たちを照らしていけるよう引き続き全力で応援し続けます!私の人生を彩ってくれるいわきFCに感謝します!Wさん 千葉県市川市
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応援がくれた強さ
私には二人の子供がいて、二人とも発達障害を持っています。集団行動が苦手な子共達を少しでも集団に慣れてもらおうと習い始めたサッカー。そのサッカーを通していわきFCの試合を観に行く機会があったのですが、大勢の観客、大きな声援でパニックを起こさないか、我が子が観に行ったら周りに迷惑をかけるんじゃないか心配でなかなか行けずにいました。
そんなある日、子供達自ら「いわきFCの試合を観てみたい!」と言われ、良い機会だと思い初めての観戦に行きました。それが2022シーズンのホームカマタマーレ讃岐戦でした。会場の雰囲気も良く、試合自体ワクワクさてくれる内容で、いわきにこんなにも強いチームがいるのだと今でも感動したのを覚えています。しかし、帰宅後下の子が今までにないくらいのパニックを発症。やはり、大勢の中での観戦、大きな声援がストレスだったようで皆んなと同じように観戦するのは難しかったのかとその日連れて行ったことを後悔しました。もう連れて行くのは難しいと思っていましたが、しばらくしてまた観に行きたいいわきFCを応援したいと言ってきました。その想いに応えようと、またパニックにならないよう観戦時はイヤーマフをする、パニックになりそうな時は一旦退避するなど対策をとりました。そんな次男も今ではイヤーマフなしでゴール裏で応援できるようになりました。本人の成長、慣れもあるかもしれませんが、ゴール裏の親子もウェルカムな雰囲気がいいのかもしれません。それだけでなく試合内容をしっかり観て、自分がサッカーするとき憧れの選手の真似をしたりしている姿も見られるようになりました。いわきFCを通してたくさんの成長が見られて親として嬉しい限りです。いわきFCが私達親子に与えてくれた影響は計り知れません。いわきFCの存在が私達親子を前向きにしてくれました。いわきFCに出会えて感謝しかありません。これからも全力で応援します!Iさん 福島県いわき市








募集要項
「いわきFCとわたし」というテーマで、
ご自身といわきFCの関わりや
いわきFCを応援するようになったきっかけなど、
具体的なエピソードを
お寄せください。(最大800字まで)
任意で写真などを添付いただいてもOKです。
ご家族やお友達のエピソードでも問題ありません。
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募集期間
2025年3月31日まで
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募集内容
いわきFCとわたしのテーマでご自身のエピソード(最大800字)
※写真添付可
プレゼント
ご応募いただいた方の中から抽選で
10名様に
「いわきFC全選手サイン入りユニフォーム」を
10周年ロゴ入りの特別仕様でプレゼント!





たくさんのご応募、
ありがとうございました
エピソードの募集は締め切りました。
たくさんのご応募、ありがとうございました。